お客様の中でどなたかお医者様ごっこのお医者様はいらっしゃいませんか?

ユルめのやつ(タイトルは不定期に変わります)

朝生ツイートに見る人々の単純さは、炎上プロジェクト時に残念なマネージャーが発する言葉と変わらない

福島の方が悲痛な叫びをマイクを握って発しておられた時に、池田信夫氏がスマホをいじってたのが許せない…なんてツィートを見かけた。

確かに池田信氏は線量の高い地域を「捨てる」だとか、今止まってる原発を動かす事は合法だから問題ないだとか、そんな事を言っていた。言っていたけども、氏はもちろんバカじゃない。これらの発言は敢えて言葉を選んで言っていると考えるのが自然だと思う。もちろん、その敢えて選んで言ってる言葉にて、既に負ってる傷をエグられるような思いをしている人はとてもたくさんいるはず。そこに対してボクも感情的にはテメー!このやろう!って思うところはある。あるけども…

このような敢えて言っている言葉そのものにいちいち反応してると池田氏の思うツボでしかなく、奥底にある真意を見逃す事になる。メソッドの機能がクソである事を嘆くより、何故そのクソメソッドを使ってるか?に着目しないと見てる側は無駄なコスト(この場合は感情的な疲弊を伴う上げ下げ)を追う羽目になる。しかもその上げ下げこそが結果的に氏に利益をもたらす事になるかもしれない。

もう少し言うと朝生と言う番組が人から見たらクソメソッドを使うであろう池田信夫を敢えて選んで出演依頼をしているところに着目した方が良い。そうしないと彼らが番組をどう観せたいか?と言う意図を見落としてしまい、今までの昭和の人たちよろしくいつまでもメディアを受動的に観るハメになる。結果、3500円のカツカレーは庶民的には高いけど、なんか…カツカレー食べたい!みたいにさせられちゃう。待って待って!貴方はカツカレーを食べたかったワケじゃないのに、カツカレー食べたくなっちゃったよね?あれ?みたいな。いやいや、朝生はプロレスなんです!だから生(き)のままを楽しむのが正しい!って言うなら、まあそれもまたひとつです。生で討論してる人間達の隠したい意図、本質、もしくは引き出したい意図みたいなものを見たいなら、受動的に観ていては何も見えてこないとボクは思う。

 

IT業界の人達はしばしば家に帰れないぐらいに忙しく仕事をしていたりする。周りにIT業界で働く友人がいる方はなんとなくそれがお分かり頂けるだろう。貴方のそんな友人が携わってるプロジェクトは、いわゆるデスマーチとか炎上とか言われている状態に陥っている。つまりとても間に合わなそうな納期に追われて、やむなく一日の労働時間を2倍とか3倍にする事で辻褄を合わせるハメになっている。

何故こんな事になるかと言えば、ザックリ言うとお仕事が苦手な人達が世の中にゴマンといるから…としか言えない。お仕事が苦手な人たちがたくさんいるので、その要因となると、それはもうたくさんある。敢えてひとつの要因を言うならば、(発注側・受注側に限らず)プロジェクトを任されているマネージャーの方々の多くは、起きた事象の本質を考えないからと言う事になる。

例えばこんな例もある。あるプログラムに問題が発生したとする。すると本質を考えないマネージャーである彼らは絨毯爆撃的な指示を出す。その担当者が作ったものを全部洗え!とか、そのチームが作ったものを全部洗え!とか、その会社が作ったものを全部洗え!とか。そして今後の作業分に関してはトリプルチェックを実施し、チェック手続きを全て紙ベース&口頭ベースで行い毎日定時刻に報告をせよ!みたいな、もしかしたら江戸時代なのかな…って思うような指示だ。ただでさえ遅れてるプロジェクトにはさらに圧が掛かり、労働時間は爆発的に増え、それに伴い成果物のクオリティが下がり、より深刻な問題が仕込まれる可能性が生まれる。それをマネージャーの方々は自ら生み出している。そんなマネージャーの下で働くプログラマーはもはやプログラマーだった自分の事すらおぼろげになるような事態に置かれてしまう。彼らからは彼女や女郎に会いに行こう…なんて気力すら刈り取られる。

本質を考えれば、また限られた予算(主に人件費)を考えれば、絨毯爆撃で勝負に出る選択は取るワケがない。チェック(もしくはテスト)は必要最小限に行い、かつお客様とも交渉をして運用で対処しつつ最小限に被害を収め、次の本格対応への体力を皆で温存するだろう。もっとも、できるマネージャーなら準備段階から起きうるリスクを鑑みた戦略を練ってるので、納期間近に大問題すら発生しない事の方が圧倒的に多いと思うが。

 

見えざる奥の本質に目を向ける事で、ツイッターでやいのやいの言うコストだとか、プログラマーがウサギみたいな目で仕事をする事だとかは相当数は無くなる。朝生は何を観せたかったのか、もうちょい言うと、どう言う感想を持たせたかったのか。テレビに限らず、自らの芯の部分がブレないようにモノの奥を能動的に見ないと、自らの次の決定に対する強い意思が生まれないだろう。そうなれば、次に出てくる政権はドコの政党が取ろうとも、結局「ほぼほぼ民主党政権」になるのは間違いない。国民が「国」の「民」としてどうありたいかを自らの軸を持って考え、奥の本質に対して正対する必要がある。ボクらの世代にはボクら以降の世代の為にその義務がある。