お客様の中でどなたかお医者様ごっこのお医者様はいらっしゃいませんか?

ユルめのやつ(タイトルは不定期に変わります)

2013年書き初め

つい今しがた、ボクは30分前のボクよりイケてる状態になった。これは去年末から伸びに伸び、そして増えに増えていた鼻毛を108✕2本前後抜いた事に起因する。ボクの鼻毛は長さ・太さ・量の三者がかなりのハイレベルな位置でバランスを保っている。北斗神拳で言うとラオウ・トキ・ケンシロウみたいなものだ。時代が時代なら3人とも北斗神拳伝承者としてやっていけたはず。なので3週間もほっとくと鼻の中で世紀末救世主伝説のストーリーが軽く展開され、うっかりユリア、あれ?ユリア?俺も!俺も!はい俺も!程度になると考えてもらったらいい。オトコとして大丈夫な状態を保ちたいならば、前回抜いた時より一週間で処理班(主にボク)による除去が必要になる。北斗神拳のくだり、やり直しさせてもらっていいすか。

 

さて。明けました。明けましたので多少自分の事について書いてみたいと思う。えっと…年越しを友人とぐだぐだと10時間以上も酒を飲みながらしていたワケですが、その時にこんな感じの事を言われた。「のっち(ボクの事ね)は、『俺はこんな酷い事もやっちゃうよ』的な事を見せすぎなんですよ。実際はやらないのに。でもそれが作戦的でもある」的な。なんつってたかな…「なんちゃら悪」みたな言葉で言ってたな。(話半分くらいしか聞いてない) でもまあ確かに、そんな部分はあるかもしれない。先に悪いカードを見せてしまう癖は昔からある。そうそう、それを彼はボクに対して「保身」とも言ってた気がする。それを保身であるかと言われたら、まあそうかもしれない。

 

人間っつーのは、何がしかの色眼鏡を持って人を見ている。見ている人間が特に自分の好きな要素を持っている人間だったりすると、悪い要素を仮に持っていたとしても、好き側にバイアスをかけがちに色眼鏡を自動調整していたりする。逆に先に悪い要素が目についた人間に対しては、悪い方にバイアスがかかってその人を見始める。この場合は、印象が悪化していく一方なパターンが多いと思う。しかしもしもボクが悪いカードを切る事を意識的にやっているのだとしたら、後者を狙ってる可能性が高い。何故なら、悪い印象から入った方が後から逆転した時に突き抜けて好印象になる可能性があるのと、悪い印象を忘れ去る・もしくは無効化する可能性すらあるからだ。

 

と、うだうだ書いたけども、実際には悪いカードを切って「意識的に」印象がなんちゃらかんちゃら…なんて事は何ひとつ考えてない。悪いカードを「無意識に」切ってるのは、ボクなりの幼少からの処世術なのかもしれない。単なるクセ。そうじゃないと自分のバランスが取れなかったのかもしれない。その辺りの分析はまたの機会に。悪いカードをソーシャルな場で「意識的に」切ってる部分があるとすればただひとつ。「ソーシャルな場で楽しい事・美味しい事・気持ち良い事・美しい発言・正しい発言(これは誰にとって正しいかわからんけど)ばかりを詰めこまなくても別に良いじゃん」って思ってるってのが大きい。別に美しい事だけが人間じゃないでしょ?美味しいものを食べるけれど、でも日常ではカップラーメンとか松屋行っちゃう時もあるでしょ?ある場所に辿り着く為には、実は人に見せがたいバタバタ感だってあるでしょ?っつー話ですよ。もちろん全部見せてしまう事は他人が消化不良になってゲロとうんkが同時に出ちゃうので、そんな事はしないけど。別にある程度は見せても良いじゃんくらいな感じではある。だってそれが自然だから。

 

もちろんスカした事を表明している時だってボクにはある。ボクは基本的にエエカッコシイなので。でも日々ずっーとエエカッコシイでいるワケじゃなく、そのエエカッコシイはボクの一つの要素でしかない。例えば万が一ソコだけ見て「ヤダ、カッコイイ!イカス!濡れる!」ってなっちゃうのだとしたら、そんなヤツのアゴは割ってやってチケットホルダーにしてやろうと思う。チケットが必要なイベントとかあんまり行かないけど。でもね。ずーっとスカしっぱなしの野郎&女子もいるワケですよ。まあボクは地球上の全ての女子の味方だから女子に対しては全く何も咎めず、ただただ「かわいいね。うん。かわいい。」としか思わないですが、スカしっぱなしの野郎には「おめぇ、そんな感じばっかじゃねぇだろ?あ?」って思ってしまうワケです。そんな人はきまって、中身が無い・便乗する・調子に乗る・引用する。悪いカードを切る中には、そんな人達に対するメッセージ的なモノも多少含まれてたりするかもしれない。

 

とまあ、ココまで妄想だけで書いたので何一つ真実は書いてないのですが(えー)、ボクはひとつ思いました。原点に帰ろう、と。原点に帰っても大丈夫なんだと思えたから。とある事に関して、ボクは無い事にして生きてきた部分がある。それはもしかしたら、とある時期はそれを無い事にしないと自分が成立しなかったのかもしれない。そしてそれがボクの中で「正」になっていたところがある。それはある。本当はある。ある事にした方が良さげだ。そんな思いに至ったので、まあその部分が確信に至ったら、またこの場で発表するかもしれません。しないかもしれません。しません。ひとつ言えるのはボクは自分を許せる自分になりたいと思ってると言う事ですね。それでは皆様、良い一年を。