お客様の中でどなたかお医者様ごっこのお医者様はいらっしゃいませんか?

ユルめのやつ(タイトルは不定期に変わります)

2011年最後の縦笛

何も考えず2011年を振り返ろうと思う。

そもそも2010年12月にいろいろな事件がおきた。そもそもは大好きだったオンナにフラれて別れた事と、もしかしてソレによって何かを得てしまった事が去年末から燻っており、それが2011年を2011年たらしめる事だったのかもしれない。そうなるはずだった。

必ず忘れられない年になるであろう2011年。それは地下鉄サリン事件阪神大震災があった1995年に匹敵する事なるだろう。アレから16年。ボクは同じ独身に戻りそして彼女も今はいない。クリスマスの頃に流れる音と街のお祭りムードをボクは肌寒く感じ、しかしだからと言って温かみも求めなかった。それでも日本は数多くの人が人の温かみを求め、そしてソレを感じた事だろう。それはボクが昔好きだったオンナが住んでいたところで起きた悲劇に起因する。

その悲劇は人間の弱さ・人間の強さがぐちゃぐちゃに同居している事を露にさせた。

4月の終わり。ボクらは日本の、いや東京の閉塞感をまず打破し、日本が再び力強く大地に根を張り新芽を出し大きな大きな優しい木になるようにとリボーーーンの活動の計画を練り始めた。東北で起きた悲劇を日本全体で考え対面し日本全体が強くなる必要があると考えたからだ。その為に人々のココロをアクティブにする必要がある。それならば日本古来よりある「祭」を模倣するのが最適なのでは?とボクらの結論は至った。

しかしボクらが考えていた程以上に世の中は動かない。資金も実績もないボクらに会場スポンサーになってくれるトコロもなければ、現地へのコネクションも全くないボクらには登壇者もなかなか集められない。マンパワーリソースも圧倒的に不足していたし、今から振り返ればチームとしての連携もまだまだだったのかもしれない。

会場は開催日までもう日が無いところで慶次さんがなんとかゴリ押して決めてくれた。登壇者は急遽連携を深めリボーーーンへのコミットを決意してくれた阿部ちゃんがなんとか集めてくれた。タスクがパンパンだったであろうりょうちんは時間を絞り上げ確実にWEBサイトもフライヤーも仕上げてくれた。彼はリボーーーンきっての情熱家だ。その情熱家が当日は不慮の体調不良で出席する事ができなかった。さぞかし悔しかっただろう。イベントの形態がわかりづらいとの批判からボクらはマンガ絵で伝えるアイディアを思いつく。それをマリちゃんがおそろしく分り易く仕上げてくれたりもした。実際に開催する為のノウハウも何も無かったけど、直前の準備には当時はボランティアでやってくれたテラちゃんイナガキ、そして愛されブキッチョささくれさんが必死に手作業をこなし、なんとか間に合わせてくれた。ゆうすけはこの形態の司会をなんとかなんとかこなしてくれた。チバちゃんは慣れない映像関連の操作を四苦八苦しながらやってくれた。本人はもう一度やって上手くやりたいと当時、相当悔しがっていた。ほりたんだって行った事もない場所でいきなり音楽担当を任されても淡々とこなしてくれた。言い始めたらキリが無いくらいにぐちゃぐちゃだった。

デコボコだらけツギハギだらけの第一回は150名を大きく超えるたくさんの方々に集まって頂き、また現地の登壇者の方の生声を直接聴いて頂き、そして何か考えるきっかけになり、そして実際にとある企業さんが動き始めてくれたりもした。そうしてボクらの真剣にやった「不出来な祭」がなんとか走り始めたのだ。たくさんの評価を頂いた一方でたくさんのご批判も頂いた。それはボクらがさらに考えるきっかけになったし、何より次に繋がるこやしに、いや、日本のこやしになるならその全てにちゃんと意味があるのだと思う。

ボクの信条には「許すこと」と云うのがある。

人間誰しも過ちを犯すから…と云うのもあるが、本当の意味とするところはもっと厳しい。許す事で次からは相手は自ら厳しい選択を課す事になる事になるからだ。2度目3度目でも許す。その代わりその相手が自分に課すハードルはその度に上がっていかざるを得ない。許す事は突き放す事よりボクは厳しいと思っている。上がったハードルを越えるのはなかなか難しいからだ。「オマエ、バカか?もう来んな!さっさと消えろ」そう言われた方が人間どんなに楽な事か。誰でも逃げる事は少しの勇気と諦めがあればできる。だけどボクは「ボクの許す」が自らも含め成立するのがリボーーーンのメンバーだと思っている。そう云うメンバーと出会え、共に仕事をした事をボクはとても誇りに思う。

 

AB型は2重人格だ。なーんて良く言われる。AB型が2重人格かどうかはさておき、人間誰しも歌舞伎町だろうとボクは思っている。そこにはあらゆる欲望とそして建前が色めき、様々なタイプの人間が渦巻いている。所謂カオスと云うやつだ。誰しも美しいココロと醜いココロが渦巻いており、その選択を強いられて生きている。2重で済むなら簡単な話だ。日本に起きた悲劇はそのカオスを津波が露にさせてしまったのだとボクは思っている。剥き身の人間が剥き身の街で生活を余儀なくされてしまった。政府も東電も剥き身。みんな剥き身。剥き身ってのは生きづらい。生きづらいから蓑が必要になる。ただ、一度見えてしまった剥き身を皆は良く知っている。愛なんて簡単な言葉で片付けるのもアレだけど、愛はあるのだと思った人もいれば、欲望がどれほどに汚いのかも見えてしまった事だろう。憎悪が吐き気が収まらない程きっついって思った人もいただろう。それは見えてしまうから非日常なのであって、見えてしまわなければ日常と云う事になる。見えてしまわなくとも存在はする。存在する事に怯える事の方が時間を無駄にしてしまう気がするのはボクだけだろうか。無い事を想定するのではなく、在る事を想定して行動にうつす事が思いやりなのだから。

7月、リボーーーンの第2回に向けボクらは始動した。ボクらはコバさんと云う「角」を仲間に向かい入れる。メディア向けの戦略をコバさんが角の如く動きトドメを刺しに行ってくれた。コバさんとささくれの「ダブルヨウヘイ」コンビは急速に仲を深めボクはそれを見てるのが大好きになった。まあささくれの無駄が大部分ではあったけど。第2回のリボーーーンについては11月の開催で、大平志保さんと云う素敵な女性が司会を恐るべきスキルでこなしイベントを締めてくれたと聞いた。ボクは残念ながら懇親会からの参加になってしまい、ふーみん石川さんと連携して提供して頂いた美味しいフードをガツガツ貪る事しかできなかった。参加人数は減ったがイベント事態は更に有意義なものになったと後から聞かされた。ボクらはもっともっと何かできるはずであるとそう思う。そう言った意見はたくさん外部からも聞いているし、特に石川さん、SAVE TAKATA佐々木さんからは貴重なご意見を頂いており、また期待も頂いており身が引き締まる思いだ。

なんだかリボーーーンの話ばかりになってしまいアレだな…苦笑

ボクはと言えば、本業の方で1月から続いたiPodのプロジェクトがようやく11月に収束した。また12月にはiPadの特急プロジェクトをお客様から依頼され、このプロジェクトの成功と共に会社を退社する事にした。たくさんの学びと愛すべき仲間のそばから離れるのは少しセンチメンタリズム的なアレを揺さぶられたけど、そこにはテラちゃんもかねきんもいるし、実はあまり心配していない。彼らが両輪となってド派手にブチ上げてくれるだろうとボクは思っている。

 

なんだかダラダラと書いてしまったけども…終わろっか。

継続する事って何だろうと思う。継続的な支援だとか継続的な活動だとか忘れない事ってなんだろうと思う。実はいまいち分かってない部分もあるけど、ひとつだけ分かってることがある。それはきっと共に生きる事なんだろうな、と。共に生きるにはお金だって必要だし、共に生きる目的が必要だし、もしかしたら生きる事とは忘れる事かもしれない。忘れないで欲しいと云う事の中には忘れてしまっても良い事だってきっとあると思う。忘れない事にすがるより、忘れられない事を作る方が大事だし、その為の準備を2011年はずっとしてきたのだと思う。何故ならボクはいつだって「ただただ前に」しか考えていないのだから。

 

2011年に共に過ごした皆様へ感謝の気持ちを込めて。 

のっち